体感の時代
- 2010/04/21
- 21:43
少し前から感じていたことですが、最近自分が聴いている音楽が、歌詞がなかったり、歌詞の意味をちゃんと理解できないモノが多いです。
学生時代好きだった音楽は、ニューミュージックというジャンルで、歌詞の内容に共感したりしたものです。
MTVなんていう洋楽紹介番組が流行っても、歌詞の内容が解らない音楽は共感できないわ
なんて思っていました。
なのに…最近聴く音楽は洋楽かインストゥルメンタルばかり。
これには、自分の感性の変化だけでなく、時代の変化もある気がします。
例えば小説、映画。
太宰治や三島由紀夫のような、読んだあとに様々な評論や意見交換をしたくなる作品より、「泣ける」「笑える」といった瞬間の体感が共有出来る作品が流行ります。
深く内容を読んだり、背景を感じたりすることをしなくなっている気がします。
身体で感じること。
五感で感じること。
それを共有できることで空間や時代を共有していると感じるのかもしれません。
『体感の時代』ですね。
それは、ある意味で身体を置き去りにしていた私たちには、大切な回帰かもしれません。
ただ、感じるということには、心の背景は絶対条件で、心の背景を学ばずに体感だけを共有しても、結局刹那的な快楽にしかならない。という危険も感じます。
体感の時代だからこそ、言葉や文字、あるいは空気の行間を読める深い洞察力と心が大切だと、自戒を込めて思うのです。
学生時代好きだった音楽は、ニューミュージックというジャンルで、歌詞の内容に共感したりしたものです。
MTVなんていう洋楽紹介番組が流行っても、歌詞の内容が解らない音楽は共感できないわ

なのに…最近聴く音楽は洋楽かインストゥルメンタルばかり。
これには、自分の感性の変化だけでなく、時代の変化もある気がします。
例えば小説、映画。
太宰治や三島由紀夫のような、読んだあとに様々な評論や意見交換をしたくなる作品より、「泣ける」「笑える」といった瞬間の体感が共有出来る作品が流行ります。
深く内容を読んだり、背景を感じたりすることをしなくなっている気がします。
身体で感じること。
五感で感じること。
それを共有できることで空間や時代を共有していると感じるのかもしれません。
『体感の時代』ですね。
それは、ある意味で身体を置き去りにしていた私たちには、大切な回帰かもしれません。
ただ、感じるということには、心の背景は絶対条件で、心の背景を学ばずに体感だけを共有しても、結局刹那的な快楽にしかならない。という危険も感じます。
体感の時代だからこそ、言葉や文字、あるいは空気の行間を読める深い洞察力と心が大切だと、自戒を込めて思うのです。
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