今日から、気功の教室に本格的に通い始めました。
2時間があっという間でしたが、今復習をしているととてもとても沢山のことを教わっていました。
アロマセラピーと出会って10年と少し、ハーブに魅了されて3年、人の身体と自然のかかわりに惹かれて20数年…
最近は、施術をしていても野生的な勘というか、本能的な反応というか、そういった不思議な感覚に捉われ、以前の解剖学や生理学や運動機能を一切無視してしまうときがあります。
例えば、肩こりがひどくて吐き気がすることがあるという方に、解剖学生理学的に言えば、背中や腰を施術するのかもしれないのですが、突然「胸郭じゃないか!?」と、なにか引かれるようにして、胸骨と肋骨の施術をしたりして…
胸に何かが引っかかっているように見えた。としか言いようがないのですが…。
そしてそれは、大体教科書や理論より正しい結果を出しているような気がします。
(とは言え、レッスンではきちんと理論と機能を面倒くさいくらい丁寧に教えていますけど

)
最近は、何をするにしても(施術に限らず)全然頭が働かなくなってしまって、勘や流れでやっていることが多くて、自分自身でも恐ろしくなります。
でもなぜか不安が無く、むしろ見えない自信が溢れているんです。
一体なんなのだろう?と、わかりやすい言葉で言えば「
動物的本能」というヤツです。
どんどんおバカになっている気がします

そんな風に感じていた昨今ですが、このタイミングで気功に出会ったのがまた運命的

今日のレッスンで言われたのは
全ての人は、それだけで完璧。それ以上の工夫は要らない。
大事なことは余計なことを
やめていくこと頭で考えて、理屈で理解することは
余計なこと。
私たちに必要なことは、自分を通して自然を鏡のように映し出すこと。
美しい自然のような音楽。
美しい風景のような絵画。
美しい風のような歌。。。
私たちは、存在することが芸術そのもの。
ただ歪みのない美しい鏡であることが大事。
流れに逆らわず、ヨットのように前進することが生きること。
こんなことを言われたら、何も考えない自分を全面肯定してしまいます

そして、揺法というただただ揺れるだけの気功を習いました。
これは今の私の気分にぴったりで、木になる。草になる。自然の1(いち)になる。って感じ。
(自然の1(いち)になる。って意味はわからないんだけど、最近私が思いついた言葉

)
ぽちっと、小さな自分になりたい。
何も持たない自分になりたい。
在るだけの自分になりたい。
どんどんどんどん空間と、空気と同化していく自分がとても気持ちいい。
さてさて、気功の世界に足を踏み込んでしまった私。どこに向かうのかしら???
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