半年くらい前に高校時代の友人から突然連絡が

なんと、こちらのブログを偶然見つけて、連絡をくれたそうです

姓も変わっている私によく気づいたなぁ、と感心していたら
「写真も昔と変わらないし、
言葉にこだわるブログの内容を見て、変わらんなぁ。と思った

」
ん?
ちょっと待って。
私って、高校時代から言葉に小うるさい女子だった?

オバサンになったから、若い子の言葉遣いが気になるのかと思ってたけど…
な~んだ、オバサン化現象じゃないのね

って、安心する場面じゃないか

ま、ともかく。言葉に小うるさい私は、度々書いている。
「いただく」という謙譲語の妙な使われ方と、誤用が気になってます。
そもそも【謙譲語】とは、自分をへりくだる言葉です。
自分を下げることで、相手を高める。という面白い構造の敬語です。
ですから、それがどんな場合でも、主語は『私(たち)』です。
相手を主語にしてしまうと、相手が下がって自分が上がってしまいますからね

という前提で、この文章をどう思いますか?
・お客様は、当社のシステムをご利用いただけます。
あれ?主語は?
誰が誰に敬語を使っている?
この場合
・お客様は、当社のシステムをご利用になれます。
で良いですよね。
お客様が主語で、お客様に敬意を払う言葉であるなら、「利用できる」を「ご利用になれる」とすれば充分。
「いただく」を敬語かのように誤用するのは、慇懃無礼になりかねません。
また、「いただく」は、「貰う」の謙譲語です。
意外と使う方が多いのが
「祖母にいただいた骨董です。」
祖母と言っているので、話し相手は身内の方ではありませんね。
であれば、「祖母に貰った骨董です。」と言うべきです。
「いただいた」人がお婆様を高くしてしまったので、それを聞いていた第三者も立場が低くなってしまったのです。
お婆様>話を聞いた人≧骨董を貰った人
という上下関係です。
言葉は、それによって問題が生じたり、生活ができなくなるわけではありませんが、大人の女性として身に付けていてもいいかな。と思います。
私自身も怪しい点はたくさんあるので、気づいたときは改めていきたいと思っています。
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