コタツの上で歌っていた頃のように
- 2020/08/10
- 22:08
歌を歌いたい。と思ったのはいつだろうか?
昨日、久しぶりに実家に帰り
旧いアルバムを見ていると
私が、親戚の前で嬉しそうに歌っている写真が・・・
ピンクレディを歌っていました。(振付けでわかります)
でも、
私の記憶では、もっと小さな頃から
天地真理やアグネス・チャンの歌を
コタツの上に乗って歌っていたはずです。
なぜか、コタツの上に乗って
電気の紐の先をマイクに見立てて・・・
(そして、親に怒られる)
もちろん
ただの子供の歌ですので
神童でもないし、
そこから天才的な才能を見せるわけではありません。
歌いたい。
と思うことに理由はないんです。
それにきっかけだって不明です。
大人になった今でも歌っています。
私は、これに一生懸命理由を考えていたなぁ、と思うんです。
こちらのページにはもっともらしいことを書いています^^
→ 彩水(あやな)
だって
アロマセラピストなのに歌?
50歳すぎているのにボイトレ?
素人なのにオリジナル曲?
ただの趣味に動画作成?
って、なんだか自分のやっていることに
整合性がとれていない気がしていて・・・
もちろんこのページに書いたことは、嘘ではないし
そう思っていることは事実です。
でも、
なんだかそういう「言い訳」というか
「もっともらしい理由」は要らないな。と
最近思っています。
歌ってる時が好きなんです。
その世界に浸れるし
何しろ楽しい。
なのですが、ある程度物心がつき始めると
「うまい」とか「下手」とか
評価されるようになってくる。
カラオケだって点数がついたり
素人が聞いたって、うまい人と下手な人はわかる。
だから
だんだん「上手に歌おう」って思い始める。
ボイトレに通い始めたのものそんな理由でした。
ー上手に歌いたい。
通い始めて6年。
かなり思い通りに歌えるようになりました。
高音も出るようになったし
ファルセットもミックスボイスも
ビブラートもちょっとしたエッジボイスも
使えるようになりました。
でも・・・
「上手に歌えるようになればなるほど」
自分から遠くなるような不思議な感覚になりました。
そして、
ある時急に思ったんです。
「誰のために歌ってる?」って。
例えば
歌を歌うことは「表現」だとか
心が求める一つの形だとか
はたまた
生きがいだとか
No music, no life とか
そんなことも考えたことはありませんし
もっとプリミティブで
それこそ「コタツの上で歌っていた」のと同じ気持ちで歌いたい。
ただ気持ちよく
ただワクワクして
今はね。
コタツの上で歌ってるみたいに歌いたい。
これとか、かなりコタツ感あり^^
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