も20年以上前のことですが、同期の女友達が
「あやさんのその靴可愛い~

似合ってる」と言うので
「でしょ~!だから買ったの

」と答えたら
「……。 あやさん、つまんない

普通は『え~ 本当!?良かったぁ、似合うかどうか不安だったのぉ。ありがとう』とか
『そんな~。そぉお? えへへ ありがとう』とかって
一回は謙遜するものよ。 いきなり全面的に認められたら褒めた甲斐がないわ

」
と言われました。
え?でも、似合わないものは買わないし、似合うと思ったから買うのよ。と、心で思ったけど、それが人間関係を潤滑にする「処世術と言うものなのね」と思い
「それが処世術ってやつね」と、また余計なことを言って呆れられたのですが…

確かに彼女の言うことはわかります。
女性は
共感の動物とも言われていますから、ある言葉で相手が喜んでくれたり、相手が感動してくれたりすることがとても嬉しいですよね。
だからこそ 本当は似合うと思っていても「そう?」と、ちょっとだけ謙遜してみると「うん、すっごく良いよ~」なんて言って、更に感情が同調するものです。
なんて言うか、この辺のプロセスは女性同士ならある意味パターン化されていてとりたてて意味がないというか、そこに特別な下心や何かはなくて、相手と同じ空間、空気を共有しているということを感じ合うためのモノだったりします。
が…、これが 可愛い靴を履いていたお友達に
「それ、似合ってるね」
「そう?」
「うん、すごく良いよ。色も形も」
「え~、そうかなぁ? なんか足が太く見えない?」
「そんなことないよ。ちょうど良いんじゃない?」
「え~、そう?… ま、何を履いてもこの太い脚の太さが変わるわけじゃないけどねっ」
みたいに、謙遜からなんだか自己卑下に完結されちゃうと、もう次の言葉がつなげられませんよね。
私のようにすぐに肯定しちゃう(これ、未だにそうで、皆さんにがっかりされている気がします

)のも共感のプロセスが得られないけど、謙遜も何度も続けちゃうと共感より退いちゃいます。
謙遜も大事だけど、自己卑下にならないようにね。
さっきも書いたけど、このやり取りに特別な意味はないものの、あまりネガティブに終わってしまうのはお互いイイ気分じゃないので、納得してもしなくても
「ありがとう」って言ってもらいたいです。
よくあるやり取りだけに、なんとなくその人のパーソナリティが出やすいところだな。と思っています。
イイ人になる必要はないんだけど、気持ちのいい人になることは大切なことなんじゃないかな。って思うのです。
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